大きな徳分を積む為に大切なこと│徳が極まると功候となる

徳には体施、物施、法施があることを下記のページで述べましたが注意しておきたい法則があります。それは私利私欲の為だけの行為は真に徳積みができないということです。
※開運する方法とは?人生を豊かにするには徳分を積む
困っている人や苦しんでいる方の為に体施、物施、法施を行っても表現上は他人の為に…となっていても、自分の心の奥底は自分の開運の為に…としか考えていない場合は全く徳が積めていないわけではないですが大きな徳とはなりません。
自分の心の奥がどういう動機かは自分が一番知っているのですから誤魔化せるわけがないですし、何より神様や守護霊様は当然お見通しです。
もちろん自分が開運したいという欲があるのはダメなことではありませんし、人を多く救ったり高める為には自分が開運をしたり様々な力を身に着ける必要がありますのはや神様や守護霊様も当然ご存じですし、何よりご本人の幸せを願っておられます。ただ自分のことのみというのが問題ということです。
仮に私利私欲の為であって、例えば神社に多額の寄付をしても全く徳を積めていないのか?というと決してそのようなことはありません。ただ本当に神社の発展の為であったり、神坐ます神社の存続を願って喜捨する人と嫌々寄付する人とではかなりの徳の差が生まれるのではと思います。
これは物施のみならず体施も法施も全ての行為にいえることで、自分の開運の為だけや仕方なくやったり嫌々やる人と、対象者に本当に幸せになって欲しいという愛念や調和で行う人では一つ一つの徳積みが違ってくるので、それが100や200…という風に数が増えてくれば天と地ほどの徳の差になるのは明白です。
ただ気を付けたいのは最初から愛念や調和…といっても難しいですし、愛念や調和じゃないからとダメだ、ダメだと自己嫌悪や自己批判をしていては本末転倒なので、そういったネガティブな感情になる必要はありません。
霊界へ行くときの判断材料
徳をどんどん積んでいって、その徳が極まると、やがて功候、つまり神様のほうから見た功が立って、無形の候となります。
この功候は神霊世界の帳簿に全て記録され、私たちが死んでどのような霊界に行くかの判断材料となります。結局はどれほど神様に喜んで頂ける行為を実践し、どれほどこの世の人々に幸せを与えたり、高めたりしたかに尽きるということですね。
今の時代はついつい自分の為に行うことが幸せの近道と思われますが、周囲に素晴らしい良きものを提供することが徳の法則からは幸せの最短の道であり、これは神霊界というお話を持ち出さなくても、自分にとって素晴らしいものを与えてくださった方には感謝しますし、何かお返しをしなければとか何かお力になりたい…と思うものですよね。